飽きてしまうよ、何度でも
飽き続けたらどうなるのかな
photo by Barbara Müller-Walter
ブログをやってみようと思いつき、3ヵ月経ったくらい経つわけで。
飽きてか面倒かでやらない日も多々あったわけなのよね。
しっかりした目的意識や自己実現もあったわけでは無いので、折れてしまうのも分かる。
だけども、「飽きる」っていう事が自分は多すぎて少々悩んでしまう。
それは嫌とか面倒って事だけじゃ無くて、「楽しい」「好き」って事でも当然の様に飽きが来てしまう。
大抵の人でも好きな食べ物を365日食わされたら飽きるのもあるよね。
継続しているからといって、飽きて無いとも言い切れない難しさはあるけど…。
飽きる理由
自分の場合「嫌で辞める」っていうことは普通にあるけども。
それよりも、「他の何かに興味を持って辞める」っていう機会が飽きる原因になっている。
簡単な話、好意を持った人が居ても、より魅力的な人が出てきたらホイホイ行ってしまうという事になる。
してないけど…。
コレって自然な事なのかな?
友人を誘ってゲームを始めるも、一番最初に飽きるのは自分だった。
一度ならず何度も繰り返し、しまいには誘いに乗って貰えなくなるほどに…。
当時の心境としては、楽しくて面白い事をしているはずなのに、スーッっと魅力が薄れてしまうのだ。
賢者タイムみたいなモノみたいだけど、他のモノに執着を始めるという点でちょっと違う。違うんだよな…?
これからどーすんねん
実際、「直したい!」っていう気持ちはあまりない。
ただ若干異常習性なのかな?という気持ちはあったり。
ちょっとでも興味があるとすぐ飛びつくというのは、視野を広げる意味では役立っているので、悪い気はしない。
その点、何かしらコレ!といったものが無い人間になっている状態は否めない。
器用貧乏という言葉がピッタリなんだよね自分。
あ、そんな優秀人間じゃ無かった。
「不器用貧乏」だねこりゃ。
何やっても飽きる、興味があったら飛びつく。
とても小さい行動だけど、飽きるならとことん飽きてみようかなと。
そう言いながら、ここまで文章書いてて最初の勢いが無くなって飽きてきている。
手元にある泡盛を飲みたいからなのか、はたまた詰んである本を読みたいのか、気持ちが分散しているのは事実。
ただ、「このままやりたいことやりゃいい!」だと身が滅ぶのは学んだので、もう少し飽きない方法を調べてみよう。
きっとこの記事を書き終わったら、調べるのも飽きるだろうけど。
生憎、まだ生きるのに飽きはしてなかったのが幸いかな。